いびつにできあがってしまった器の課題
三年前に人生最大の危機に陥り、そこから自己理解が急速に深まり、なんとなくうまく生きられるようになってきたかな?と思って過ごしておりました。
しかし、いびつに作られた私という器は、その特性が分かってもらえれば、うまく水を救えるようになりましょうが、
新しい環境に置かれては、またそのいびつさを分かってもらうところからのスタートになるのです。
4月に大きな環境の変化がありました。
私にとって一番怖いことです。
でも今回の環境の変化の感じ方は今までと異なっていました。
私は私の器のいびつさを分かってきたので、私が習得してきたこの器の使い方を変えたくなかった。
でも変えざるを得なくなった。
そこで、私はまた折れかかってしまいました。
紆余曲折あり、また以前の心療内科へ行くことに。
先生は的確なアドバイスをたくさんたくさんくれました。
的確、というのは、私の気持ちが軽くなるということ。
二年前、私は薬を結構勝手に変えたりして、自分ではあまりよい患者じゃないなあと思っていたのですが、そこを含めて先生は受け止めていて下さいました。
いいお医者様です。
それを思うと三年前の自分を理解する過程に起こっていた奇跡!
素晴らしいカウンセラーさん、素晴らしい心療内科の先生、
「メンタル」の問題を話しても大丈夫な友人や同僚。
当時は仕事場で起こっている出来事が辛くて辛くて、寝る前に動悸がしていたのを覚えています。
それでも折れずに乗り越えられたのはこんな奇跡に恵まれていたからなんだろうなと思います。
今日の診察でまた「自信」がテーマになりました。
三年前にカウンセラーさんにも言われていて、そうかまだこれは克服できていない。永遠のテーマなのか...と思いますが、
こんないびつな使い勝手の悪い器を大切にしてくれる人たちの多さに、
私はもう少し自信を持った方がいいのかなと思いました。
ADHDは治らない、でもルールを決めることである程度のところまで軽減することはできる。
そこまでは頑張れたと思いますが、
自信のなさ、不安の強さ...ADHDとして生きた30年間で学んだ「世間」への考え方はまだ変えきれていないのかもしれません。
次なる課題なのかな。